Justinを極めた男

PR







病める時も健やかなる時もJustin

昨日に引き続き、コメントへのお返事を書いていきます。JUSTINさんの漢字についてのご質問です。(記事:のコメント)また、Chappy11さんの「自分視点と他人視点」への回答にもなるかと思います。

小学校3年生、アスペルガー+注意欠陥でややコンプレックスがあり自己肯定感に影響しているよう、夜尿もあり、とのこと。気になった点を順次書いていきます。

まず、お子さんの「定型の子というものへの理解」に隔たりがないかが気になりました。

>特別なことができるより普通のことができる方がいいと泣きます。

とのことですが、同い年の3年生でも、「普通のこと」を何でもできる優秀な子は、クラスで一握りだと思います。お子さんは「できる同級生」に照準をあてて、自分をその高い能力がある人と見比べている可能性があるかもしれません。

なぜこのようなことに言及したかというと、親族の子達の場合、自分のできなさは努力で補わないといけないことをある程度理解しています。例えばできない勉強はやらないとできるようにならない。

ところが、クラスではいつも簡単に100点を取っているできる子が数人いる。なんでもひょいひょいと上手くやり、注目を浴びて人気者だったりする。そうすると

「他人の優秀さや上手さは、努力せず簡単にしているように見える。もとから優秀なんだと感じる。」

「家や塾での努力は知らない・見えない・わからない」

「誰にでも不得意があり、苦手があり、そこは例えばスポーツ教室だったり学習塾だったり、通信教育や公文や水泳教室や、そうしたエキストラの努力をして、できるように努力している、という説明を受けてみないと、想像したことがないのでわからない」

などの傾向があったります。大人でも「定型の人は何でもひょいひょいとできる、誰でもコミュニケーション能力が高い」と考えそうになりますが、定型の人を友人に持てばそうではないことはすぐにわかります。完璧な人、というのは通常あまりいません。性格、学習、食事、思考回路、会話、美的感覚…等々、どこか不器用さを抱いているのが、その個人の人間味になっています。

定型の人は自分のやりたいことがあるけど、ちょっと我慢して嫌なことを先にする、自分のためだけに時間を使いたいけど、人のために教えたり手助けしたりする、そういう面を日々の生活で見せて教えてくれます。そして他人を手助けした時間が自分のための時間じゃなくても「お礼を言え」とか「感謝しろ」と言わず、不器用な人間のために力を貸してくれることも多くあります。

定型の人でも、「特別なことができる人」は少ないです。そして普通のことができる人は、不器用でできない人の手助けをしたり、教える側にまわるというエキストラの仕事を引き受けていることも多いのです。親族の子供には、そうした「エキストラの手助け・気配り」についてはきちんと説明をします。

例えばこんな話をしています。自分ができない、とふてくされる前に、目の前で自分のために時間を割いて、「あなたのためだけにそこにいる」ということを知らせるだけでも、他人がいるという意識を開いていきます。親が宿題を教えるとうことも、当たり前ではありません。仕事をしている親は子供の勉強を見れない家庭も多いです。見てもらう=自分のために手助けしてくれている、相手の得することは何もない、という現実を理解することで、逆に「自分」というものをやっと見れる・知ることがあるのです。

こうしたことは、何も学習の意欲や態度に関係ないと思われるかもしれませんが、発達障害の子は「自分の立場や自分の損得にしか思いをはせない=自閉している」という特性が強いのです。

ですので、勉強を教えられても、何か手伝ってもらっても、遠慮なく自己憐憫をし、癇癪を起こし、八つ当たりをし、泣き叫ぶことができます。相手についての意識が全く備わっていないからです。それは知識をつけていくことで、「相手がいる、相手の損得も知る」ことにつながり、その知識が発達凸凹の子供の言動を変えていく根元となります。2時間も付き合ってくれた母親へはどれぐらい、意識は開いているでしょうか。そこがお子さんのターニングポイントになりうる根元であるかもしれません。こうした家庭での1対1の関わりから自分と他人がいる、と意識することを知る事は大事なことだと、私達は感じています。

さて、本題に入ります。

>3年生になってノートのマス目が小さくなり量が増えたことでまたバランスを崩しています。主治医からは視機能の未熟さから音読や漢字の宿題には工夫が必要と一筆もらっていますが、本人が(量を減らすなど)皆と違う方法を取ることを受け入れられません。すべての宿題を終わらせるまで、何度も脱線を繰り返し、集中できない!と泣きながら、気づけば帰宅してからほぼ2時間経過しているのが常です。その間、私がいないと集中できないと言って、横についていることを強要します。何かいい方法はないのでしょうか。

ということが、ご質問の悩みでした。この内容には、お子さんの自分の希望、自分の理想、自分の時間の使い方、その視点がまさに中心となって物事を動かしているという状態であろうと感じます。自分の世界で必死でこだわりを手放さず一人頑張っている状態であり、かつそこに他人を巻き込む所にまで意識を延長しています。

お子さんの困り感の原因は「マス目の小さいノートに書くことが困難」という視覚的な難しさであるのですが、それよりもお子さんを支配している「意識」が自分中心で動いていることに、まず大人側から整理して伝えていく必要があります。

なぜなら、視覚的な難しさで小さいマス目がダメだという事は医師に指摘されているのですから、その一筆でもって学校にはマス目の大きなノートを使わせてもらえる。ですがそれはこだわり外の選択となるから嫌だと主張する。

本人が「それは嫌、皆と同じにしたい」と自分の希望を全面に出すのですから、この時点で大人ができる支援はなくなります。本人の選択と責任という問題に移行しているわけです。

「学校も親も、できること」は限られます。視覚的な難しさもいつまでも続かず、ビジョントレーニングなどで改善する可能性もありますので「将来的にできるようになればいい」という促しで、焦らないようにしていけばいずれできるようになる可能性は大いにある
かもしれません。ですがお子さんはそうした説明を受けても自分の「今」を受け入れることが難しいのでしょうか。おそらく難しいのかな、と思います。

ではどうするか、ですが、私たちの場合は親側がはっきりと選択肢を示します。例えば今回の件ですと、ほぼ大人たちは

1.医師に一筆いただいてマス目の大きなノートを使わせてもらう選択肢を再度示す。と同時にビジョントレーニングなどをして視機能の改善に努力して改善に合わせてマス目を小さくしていく、4年生になるまでにみんなと同じマス目にできればいいね、と目標を提示する

2.本人が「どうしてもみんなと同じが良い」と選択すれば、そのための不都合やプラスアルファの時間をかけての努力は必要になることを示したうえでOKとする。親は長時間つきあえない(あなたに宿題があるように親にも家事や仕事がある、と親の損得や視点を知識として学ばせていく)、親が側にいないとできないのであればこの選択肢はなしということにするよう条件を付ける

3.医師の一筆を書いてもらって3年生の間はマス目の大きなノートで書こう。それでさっと宿題を終わらせて、余った時間でDSの学習ゲームをした方が楽しいし得だ、という選択肢を示す。(本人が楽しみたいとびつきそうな物と抱き合わせで「時間の有効な使い方」を教える

親に側にいてほしいという欲求にこだわるかもしれませんが、ここで線引きをすることは3年生という学年になりましたので、とても大事だと私たちは考えています。理由は先に上に書いた通りです。自分視点で生活をしてきた乳幼児期からだんだんと、他人視点を知って行く中学年、高学年の子供になる準備を手伝ってあげることが必要だからです。

この宿題が「学校」という組織で出されているものであり、そこに先生を巻き込み、家庭では親を巻き込んでいます。宿題は基本、自分でできること、親の手助けは「わからないところや間違ったところを指摘する、丸つけをする」ことがメインであるはずです。

お子さんが側にいてほしいという気持ちは、集団生活の難しさや自分が同級生と張り合えないと思い込んでいることで自信を無くしていることから来ているかもしれません。ですがその気持ちを、宿題の時に付き添うという親の時間を奪う行為で安心と満足をする状態を保つことは、そのパターンを「してよいこと」と学ぶのだとしたら、これから集団社会である学校での生活をより苦しくしていきます。学校や社会では他人にそこまでしてほしいと望めないので、代替として親に臨むのかもしれませんが、「辞め時」も考えていかないといけない事実があります。理由は、その欲望は無限である可能性があると、当事者の私たちは考えるからです。

無理なことは無理、として最初から一線を引いて自他の境界線をはっきりと区別してもらったほうが、自分と他人を意識でき、たとえその一瞬が苦しくても、その後の長い人生を考えると自分の暴走加減を止めることができることが多いのです。逆に他人が優しくどこまでも許してくれると、どこまでも自分に溶け込んでくれるように要求が増していきます。そういう相手を見つけた時の利用の仕方は壮絶なまでに貪欲になる特性の傾向がありますので、無理なことを無理と言う大人側の線引きは大事になってきます。

漢字の件は、上記のようにさらっと2つ3つほど、条件を出して、あとは泣いても叫んでも自分が選んだ結果として苦しむ体験をするのも一つの学びです。これは「先に、選択肢を与え、どういう苦しみがあるかの結果予測まで提示している」からこそ学びとなります。親の言うとおりだった、自分の我を通してマス目の小さいノートで頑張ったけど、目のせいで書けない、時間がかかる、1人じゃしんどい、できない、となると、いつかは「もう一つの選択肢を選んでみようかな」となることがあります。

3つめの、「漢字の宿題で苦労するより、~して遊ぶ時間を楽しんだ方が得だ」という時間の有効な使い方を促す方法は、実は注意欠陥の子には「損得で物事を考える」特性が強い子もそれなりにいますので、得することならそうしたい、と割り切れる子がいるため、条件の例として出しました。もちろんそうじゃない子もいますので、子供のタイプ別に、言い方は悪いのですが「子供をつれる条件」も変えるといいかと思います。

俗物的に聞こえるかもしれませんが、特性を利用しつつ「時間は無限ではない。嫌なことにこだわって時間を多く使うよりも、嫌なことは短い時間で終わらせて、好きなことに残りの沢山の時間を使うことが得だ。そのために自分の性質もある程度割り切って付き合うのだ」という、現実的なノウハウを身に着けていくことは有効なことが多いです。特に男の子には通用することがありますので、書いておきました。

最後に、夜尿に関しては心配ないと考えます。大人になるまでに困らなくなればいいぐらいのつもりで、おねしょシートを布団にひいてあげて、履くタイプのおむつでも寝る時には着て何も心配せず寝なさい、と、どーんと構えてあげてください。私たちはそうしています。身体的な成長は人間がどうこう操れるものではないと割り切っています。集団で苦労している発達凸凹の親族の子には珍しくない、と申し上げておきます。ある日突然、夜尿しなくなることもあります。終わり時は天に任せておけばいい、ぐらいでちょうどです。

少ない情報の中で親族の子達とその親達を思い浮かべながら書いていますので、JUSTINさんのお子さんの性質に合わない的外れな内容になっていたらすみません。使える所だけ使ってみてください。

Justin最強化計画

先日のレッスンでかかっていた曲です。

PR







コメントは受け付けていません。