代償はなぜフランス人に人気なのか

代償
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ガーン。

今、夜。

突然、思い立って。

ヨシ、今ならできる!

勢いでやらないと、この数年できなかったことを!!!

ポスターを、とうとう、はがしにかかる!!!!

o(`ω´*)o ペリペリ

o(`ω´*)o ペリペリ

o(`ω´*)o ペリパリ

目の前にいたこの子から、取り掛かりました!!!

この、すんごいお気に入りだった、NIIのユチョン!!!!

o(`ω´*)o ペリパリ

o(`ω´*)o ペリパリ

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(´Д`;)

塗装がはげてもーたやないかーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!

。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

ユチョンの恨みか?www

めっちゃ目立つし・・・TT

ほんまに最悪です・・・。

何年も貼り続けていたから、粘着がすごいことになっていてTT

泣きたい。

でも、勢いは止まらず。

o(`ω´*)o ペリペリ

o(`ω´*)o ペリペリ

o(`ω´*)o ペリパリ

これもお気に入りだったNIIのJYJ!!

あんまりお気に入りじゃなかった、ネイチャーリパブリックのJYJも。

裏見てみたら、あー、このユチョンだったのか!

この髪型が基本好きじゃなかったので、まだ3人のユチョンの方がマシか。

と当時思って、ユチョンを裏側にしてわざわざJYJ側を表にして貼ったことを思い出しましたw

改めて見てみると、いや~、すごいポスターの状態がよい。

角はセロハンテープの後とか、画びょうの差し跡があるけどww

まだまだ使えるな~勿体ない。

とりあえず、3枚はがしました。

部屋に座って、はがされた後を見てみると、さ・・・寂しい・・・・。

スッキリするはずが、なーんにもない壁に違和感・・。

そして、遠くからでもうっすら見える、ハゲ跡・・・orz

残っているのは、結構お気に入りが多いな~・・・・。

次の候補は、JYJコレクションカードのJYJのポスターかなあ・・・・。

また勢いづいたら、やってみます。

なんかでも、寂しいね。

ユチョン、ちゃんと帰ってくるかな~???(´・ω・`)

【追記】

皆様。

なるほど!!

アドバイスありがとうとざいます!!

ハゲた部分の補修の仕方・・・。

なるほどー!!

ってことで、さっそく一番お手軽そうなのでやってみた( ̄_ ̄ i)

雑すぎたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーwwww

なんか・・・やらん方が良かったかもTT

子供の塗り絵よりヘタクソやん・・・。

ショック倍増。

てか、こんなことしてしまって申し訳ない・・・orz

ちょっと、どうにかならへんか、他のアドバイス参考にして、なんとかしますわ、近日中に・・・。

で、昨日の今日で、今日も1枚やってみた。

o(`ω´*)o ペリペリ

o(`ω´*)o ペリペリ

o(`ω´*)o ペリパリ

コレクションカードのJYJポスター除去w

なんか・・・どんどんスッキリする壁・・・。

あ、これ、別に、ファンやめる過程を載せてるわけではないですよww

一応まだ部屋にひまわり飾ってますww

なんか、単純に、ポスター古いし。

あと、単純に、そろそろ恥ずかしいwww

部屋にポスター貼りまくりって、人が入ってきた時に、本気でそろそろ恥ずかしいwww

そんなわけで、はがしてますww

でも、数枚は残す、多分ね( ̄▽ ̄)

代償 あなたにカンケイあるテレビ。

ネットで面白いものをみつけました

今まで断片的に聞いていた内容が、体系的に網羅されていました。2.26事件も北一輝の主導による社会主義運動と聞いていましたが、それは北一輝による単独の行動ではなく、広く日本に浸透していたマルクス主義者の活動の一環であったことがよく分かります。

日本を愛する栃木県民の会

『日本における共産主義の広がりと満州・支那情勢』
  ~大正後期から敗戦期にかけて~  

歪曲された昭和前期史
昭和前期とは、社会主義思想がダイナミックに指向されていた時代だった。しかし1945(昭和20)年からはこの歴史的事実はすっぽりと消され、偽りの歴史の横行となった。戦後の日本には大東亜戦争の真相が解明される事を恐れた一大勢力が存在していたからである。その勢力とは日本共産党、社会党、戦後民主主義者、進歩的文化人、労働組合、教職員組合、朝日新聞、共同通信社、NHK、岩波書店、左翼評論家である。

ではなぜ、これらの勢力が大東亜戦争の真相が戦後解明される事を恐れたか。それは戦後の日本において「大東亜戦争=軍国主義」という公式を宣伝する事によって共産主義を聖域化し、歴史の事実である「大東亜戦争=日本と東アジアの共産主義化」を隠すための情報操作の一つであった。

これまで日本を大東亜戦争に走らせた思想は「軍国主義」「国粋主義」「日本主義」などと呼ばれてきたが、実は「社会主義」「共産主義」を抜きにして大東亜戦争を語る事は出来ない。ところが、歴史の歪曲作業が現代史家の多くによって戦後60年以上も続けられた結果、「戦前において社会主義思想は弾圧されて逼塞(ひっそく)させられた」という嘘が定説となった。彼らは戦前の右翼を左翼の対極だと見なして、その革命運動を当時の呼称「国家主義」「国家社会主義」に短絡させ、共産党や労農派の「社会主義・共産主義革命」とは、さも別であるかのように大胆に歪曲した。

一世を風靡した社会主義・共産主義思想
歴史捏造の一つとして「治安維持法が社会主義思想を弾圧したから社会主義思想など戦前の日本にはなかった」と言うものがいる。治安維持法は1925(大正15)年に制定されたが、これは「結社の活動」の規制法であり、規制される「活動」とは「国体の変更(つまり天皇制廃止)」と「私有財産制廃止」の2点のみであった。

従って治安維持法は、コミンテルンの命令に従った天皇制廃止などの革命運動をする「団体」(=コミンテルン日本支部=日本共産党)は取り締まったが、社会主義・共産主義の「思想」は全面的に放置するという、立法上の一大欠陥を犯していた。

同じ頃、ソ連との国交回復によって、大使館という情報謀略工作基地を得たソ連が、すぐに日本の出版会や学会を牛耳り支配したため、マルクスやレーニンの翻訳本が爆発的に大量出版された。日本人の知的水準や嗜好とよほどウマが合ったのか、猫も杓子もマルクスやレーニンに飛びついた。それらの著作に対する日本の需要は世界一だった。特に旧制高校や帝国大学の学生など若いインテリ層へ、知的ファッションとしてマルクス主義が浸透した。その背景には大正デモクラシーの風潮があり、また特権階級層であった彼らの、労働者や農民に対する負い目の意識も作用した。彼らは卒業後、官僚となって国家の中枢に進出していく。
 さらに国家主義者や軍人に対しても共産主義の影響があった。1936(昭和11)年に2.26事件を起こした青年将校たちに強い影響を与えた北一輝の思想も、天皇を戴いた共産主義革命の思想であった。彼らに共通するのは、自由経済と政党政治の否定である。共産主義の洗礼を受けた官僚たちは、2.26事件以降、軍と密接に協力し日中戦争「完遂」を呼号して、官僚統制と計画経済の体制である国家総動員体制を構築していく(ちなみに2.26事件とは、天皇制は廃止するが、その前に日本を社会主義国に改造する革命に天皇を徹底利用しようとした事件であったと喝破して、同事件の正体を戦後最初に明らかにしたのは竹山道雄であった。彼は「青年将校たちは、政党・財閥・官僚・軍閥の代表者を次々と殺し、あるいは殺そうとした。これによって構成される〈天皇制〉を倒そうとした…革命を欲して、それを天皇によって成就しようとした」と述べている。そしてこの「天皇による天皇制廃止と日本共産化」を企てた9年半ぶりのクーデターが、1945(昭和20)年8月14日夜半から翌15日未明にかけての玉音放送録音盤強奪未遂事件であった)。

1929(昭和4)年の米国での株の大暴落による世界恐慌で、翌1930(昭和5)年から、日本では「ソ連型の計画経済のみが日本経済を救済する」と言う神話が信仰された。だからソ連型計画経済を概説した著作は大人気で、官界でも陸軍でも学会と同じく大量に読まれ、ソ連型計画経済を美化する本が、一流の学者の執筆において出版された。こうして学界・官界・陸軍・出版・雑誌界は社会主義・共産主義一色に染まり、ソ連を「理想の国」と見なすのが国民的合意となった。資本主義を罵り、軽蔑し、嘲笑し、唾する、それが基本風潮であった。一方「自由経済」擁護は、ほぼ皆無だった。以下にその例をいくつか挙げてみる。
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資料集
ア.各種団体からの反自由経済宣言(昭和8年 内務省警保局)
 ●神武会 「私利を主とし民福を従とする資本主義経済の搾取を排除し…」
 ●尊皇急進党 「資本主義もまた日本主義にあらずゆえ…反対す」
 ●愛国勤労党 「産業大権の確立により全産業の国家的統制を期す」
 ●日本社会主義研究所 「生産手段の国有及び国家による集中的計画経済の施行」
 ●日本ファシズム連盟 「国家統制による経済形態の確立を期す」
 ●皇道会 「資本主義経済機構を改廃し、国家統制経済の実現を期す」
 ●急進愛国党 「非国家的資本主義の徹底的改革…搾取なき国家の確立を期す」
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イ.本位田祥男は市場経済を否定し、統制経済の導入を唱えた。
 「統制経済は直接に社会および公共の利益を目的として、国家自ら統制する…。公共の利益を目的とし、その基準によってどの程度に資本の営利性を認許するかを決定する…。かかる判断を最も適切になし得るのは国家である」
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ウ.労農派学者による書籍出版
 労農派:戦前の非日本共産党系マルクス主義者集団。昭和2年創刊の雑誌「労農」によったのでこう呼ばれる。

経済学者(大内兵衛、向坂逸郎)、最左派の無産政党によった社会運動家(堺利彦、山内均)、「文戦派」のプロレタリア文学者(平林たい
子)などからなる。戦後は日本社会党左派の理論集団社会主義協会に継承され日本社会党、総評の路線形成(いわゆる日本型社会民主主義)に大きな影響を与えた。私有財産制と妥協する「統制経済」を軽蔑し、スターリン型「計画経済」を絶賛した。ちなみに一方の「講座派」(日本共産党中央)とは、日本資本主義の運動法則や構造分析を解明しようという目的で刊行された、野呂栄太郎を主筆とする「日本資本主義発達史講座」(全7巻・岩波書店)に由来する。執筆者は、野呂栄太郎、羽仁五郎、山田盛太郎など。

労農派は「直接社会主義革命」を目指すべきであるとする1段階革命戦略を唱え、講座派は「ブルジョワ民主主義革命しかる後に社会主義革命への強行的転化」とする2段階革命戦略を唱えた。
「日本統制経済全集」(改造社 全10巻 昭和8年~昭和9年)
「経済学全集」 (改造社 全63巻 昭和3年~昭和8年)
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エ.山本勝市
 少数の自由経済擁護派。昭和2年と昭和4年に訪ソして、計画経済が完全に破綻している事を実地観察し、統制経済を否定した。
 「社会や公共の利益は政府の施策であって、経済活動から得た私企業の利潤に課した税金を用いてなすものである。経済はあくまでも私企業の(国家権力の介入を排除しての)私的な利益追求が中核となった時のみ、右肩上がりに発展する」
 「計画経済では需要と供給のための情報を唯一に提供できる市場が不在だから、必然的に計画が出来ず経済は機能しない」
 「昭和2年の秋に帰朝してみると、日本の共産主義運動は恐ろしいまでに普及していた。(大学の授業でマルクス主義を批判すると)生徒は立ち上がって反抗してきた」
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オ.清水幾太郎(「なぜあなたは共産主義者になったのか」と言う問いに対して)
「昭和初年の1926~1927(大正15・昭和元~昭和2)年ですら、神田の本屋街で、平積みの新刊本は皆マルクスとレーニンばかり。そんな環境で、読書好きな優秀な学生が、どうやって共産主義者にならない事が可能ですか。」
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カ.竹山道雄(「昭和の精神史」より)
 「インテリの間には左翼思想が風靡して、昭和の初めは〈アカにあらずんば人にあらず〉という風であった。」
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キ.杉森久英(「大政翼賛会前夜」より)
 「私の学生時代は昭和初年で、思想界はマルクス主義一色に塗りつぶされていた」
ク.与謝野晶子(「与謝野晶子全集」より)
 「マルクシズムよりレエニズムへと言うのが、優秀な大学生間の近頃の研究題目であり…それを人生の唯一の準拠と万事を批判し照準する傾向が著しい。この考え方は余りに冷たく、かつ非人間的である…人間が物質に負けて隷属した形である。(日本の帝大生たちは)目前流行の階級意識や唯物主義や過激な破壊思想を超越して大きく豊かに考え得る人間であらねばならない…欧米の国民が日本の青年の近状ほどロシアから来た一つの新思想(=マルクス・レーニン主義)に熱狂しないのを羨ましく思っている」
「共産主義の実現によって期待していた平和な国民生活は全く空想であった。彼の国の労農政府は名を共産主義に借りて、実はプロレタリアの中の野心家が、旧資本家を駆逐して、自身が政治、経済、その他の一切の上に専制支配者となり、新しい特権階級を建設したのに過ぎない。ロシア国民にとっては支配者が変わったばかりで、帝政時代よりも一層過酷な圧政政治の下に不幸の度を加えている」 〈1927(昭和2)年〉
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ケ.埴谷雄高(はにやゆたか 昭和6年共産党入党、2年後離党)
 「党員となってしまえば、何等の代償なしに人を殺し得る権利を持つ事、また非党員は、そのどれでも任意に取り出して殺されるべき単なる標的として存在する事の、不思議なほど自然な暗黙の了解があった」
参考:「共産党宣言」(1848年 マルクス・エンゲルス 大内兵衛・向坂逸郎訳)

「共産主義者はこれまでの一切の社会秩序を強力的に転覆する事によってのみ、自己の目的が達成される事を公然と宣言する。支配階級よ、共産主義の前に慄くがいい。プロレタリアは革命において鎖のほか、失うものを持たない。彼らが獲得するものは世界である。万国のプロレタリア、団結せよ。」
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