吾郎 人、きらめく、走り。
TBS局内で発見された三島由紀夫の対談を記録した未公開テープを基にした「告白 三島由紀夫未公開インタビュー」が今回の課題図書。解説者に岩下尚史さんを迎えての特別企画です。
三島自決の9か月前に録音されたテープの実物がスタジオに登場。
ゲストの岩下さんは先日聞いて、三島由紀夫の著作については、全集に全て入っていると思っていたのでびっくりしたとおっしゃっていました。
そんな三島の肉声、まずは冒頭を聞いてみることに。
録音された日は、「豊饒の海」第3部「暁の寺」を書き上げた翌日。
岩下さんによると、この時すでに三島は自決を決意していたとのこと。そう考えるのは「ヒタメン」で取材した湯浅あつ子さんに、三島が演出した歌舞伎を観劇した際偶然三島に会い、今大作にかかっていて「これを書き上げたら僕は遠いところに行っちゃうからね。」と聞いたからだそうです。
そしてそもそも、三島は45歳で死ぬと若い時から言っていたのだとか。
「武士みたい、行きながらにして死に方を探している。」と吾郎。
「本人の美学、天才と美に仕える一生だった。」と岩下さん。
ここからは、三島の生涯を辿っていきます。
?官僚一家に生まれ、幼少期から文学の才能を発揮。
テープでは、幼少期、体が弱く本しか読んでいなかったこと、作文に空想的な事しか書けなかったことを語っています。
課題図書に収録されている「太陽と鉄」でも言及しているように、三島の場合は先に言葉があり後から肉体が訪れてきた、普通の人とは逆だったそう。
?学習院後頭部を首席で卒業後、東大法学部に入学。大蔵省に入省するも1年足らずで退職。1949年、書き下ろし長編「仮面の告白」が大ヒット。その後金閣寺、潮騒とヒット作を連発。
「潮騒」で作風が変わったと岩下さん。世界一周旅行で訪れたギリシャでの体験が転機になり、夜の世界から太陽、そして外形の美しさに目覚めたのだとか。
?30歳の時肉体改造を始める。
31才と45才の写真を見比べると、まるで違う人のよう。
自己改造で作風が変わり、作品の売り上げは落ちてしまいますが、作品の質が良くないということではないと岩下さん。「午後の曳航」とか、吾郎さんにお勧めだそう。「40過ぎたら家に帰って泣いてるでしょ。」と問う岩下さんに、「40過ぎて一人で男だと、夜家帰ったら泣いてる。」と乗っかる吾郎さん。
「午後の曳航」読んだはずだけど、内容憶えていない(汗)。今読み返したら泣けるでしょうか。
最後は死生観について三島が語っている箇所を聞きます。死が自分の中に入ってきたのは肉体が完成してから。自分の小説は始めから終わりまでずっと死と関係があるけれど、死の位置が肉体の外から中へ入ってきたような気がする。と語る三島。
この「死が自分の中に入ってきたということ」について、「太陽と鉄」の一節を吾郎が朗読。
岩下さんによると、普通の死ではなく「浪漫主義的な悲愴の死」を遂げることが三島の目標だった。そのためには筋肉がないと行動できない。
すべての小説が、どう死んでいくかがテーマになっているとのこと。
それを目指してすべてやってきたんだよ!と吾郎、僕たちはどうしたらいいんでしょうね?と岩下さんに問います。
「子供の頃描いていた40代は、すべて理解して悟って余裕があって生き方もわかってて人にやさしいと思っていた。40過ぎたら、どんどん幼くなって頼りなくなっていく自分がいる。」という吾郎に、「行動するしなきゃダメ。」と岩下さん。勇気を持ってどういう行動をするかだそう。
「探してくださいよ、一緒に」という吾郎に、「なんであたしが…」と声を張り上げる岩下さん。ああ、準レギュラー状態だった頃の岩下さんが帰ってきた^o^今回は解説者という立場からか、真面目にお話していたけれど、ここから岩下節がさく裂。「いくら夜這いに来て教えてくださいって言ったって」なんておっしゃるから外山さん大うけ。最後に楽しく締めるところはさすがでした。
三島由紀夫の作品、代表作は一通り読んでいるけれど、すべて死がテーマになっているとは気づきませんでした。「潮騒」は若いエネルギーに溢れていたし、遺作「豊饒の海」も輪廻転生を扱っていて、その直後にあの自決事件を起こした人が描いた作品とは当時信じられなかった。今回の岩下さんの解説で、作品と生きざまがつながり、色々なことが初めて腑に落ちた感じがしました。
番組の感想、番組継続のお願いも忘れずに→
〒107-8068
TBSテレビ
「ゴロウ・デラックス」
*放送のない地域、地方局へのお願いに加えてオンデマンド配信のリクエストをしてはというご意見を伺いました。:
r(民放公式テレビポータル)
作品リクエストボタンからメッセージが送れます。
吾郎にチャレンジ入門ガイド
こんにちは