バレエ好きの女とは絶対に結婚するな
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もうバレエしか見えない
麻央さん死別後の海老蔵一家を支える小林麻耶の献身子育て
妻・小林麻央(享年34)が旅立ってから6週間が過ぎた。ブログで〈今日からパパママもやります〉と宣言した市川海老蔵(39)だが、歌舞伎界の名門中の名門を率いる総領だけに「ママ業」をこなすのは簡単ではないようだ。歌舞伎関係者がいう。
「『座頭市』の公演で7日まで名古屋入りしており、その後10日から14日までは大阪公演です。7月末は麗禾ちゃん(6)や勸玄くん(4)を連れて温泉や志賀高原に行ったりしていましたが、やはり寂しい思いをさせることは多く、海老蔵さんも不憫に思っている」
海老蔵が留守の間、母親代わりになって2人の面倒をみているのが麻央の姉・麻耶(37)だ。成田屋に近い人物がいう。
「子供たちの送り迎えをしたり、海老蔵も交えて一緒に遊びに出かけたり、まさに『代理ママ』の働きをしています。子供たちも懐いていて、麻耶さんに甘えることで母親のいない寂しさに耐えている面があるようです。タニマチの多くも温かい目で見守っていて、中には“再婚して2人の母親になってくれたら……”なんて話している人もいます」
2020年の東京五輪を前に大名跡「市川團十郎」を襲名するのが既定路線といわれる海老蔵。襲名ともなれば、贔屓筋への挨拶回りに関することから引き出物の手配まで、雑事を一手に引き受ける「梨園の妻」の存在が重要であることは再三指摘されている。
「“後添え”の問題は、そう遠くない将来浮上してくるでしょう。ただ、それは“子供が懐いているから”というような話とはまったく別の問題。もし誰かと再婚することになれば、“先妻の実家”とは距離をおくことになる。子供のため、家のため、海老蔵さんがどういう選択をするのか。成田屋関係者は固唾を飲んで見守っています」(同前)
梨園のルールはかくも厳しいのである。
※週刊ポスト2017年8月18・25日号
08/12 07:00
NEWSポストセブン
市川海老蔵、愛娘のバレエ発表会を“麻耶ママ”に託す
小さなバレリーナたちが、ステージの上でかわいらしく舞っている。わが子の一挙手一投足を見逃さないように熱視線を送るママたちの中で、客席の最前列から一際大きな歓声を上げていたのは、小林麻耶(38才)だった。
8月上旬、都内のコンサートホールで名門バレエ教室の発表会が行われた。黒木瞳(56才)や君島十和子(51才)も娘を通わせたそのバレエ教室で、市川海老蔵(39才)の長女・麗禾ちゃん(6才)もレッスンを受けている。
「麗禾ちゃんは発表会の最初の演目『バレエスィート』と『眠れる森の美女』に出演しました。白いチュチュがとても似合っていましたよ。『眠れる~』では赤ずきん役で、演目後に子供たちが横一列になって挨拶をするときには、センターできっかけの声掛け役も担っていました。しっかり者の子が指名される大事な仕事ですよ」(観劇した人)
名古屋公演中だった海老蔵は、残念ながら娘の晴れ舞台にかけつけることはできなかった。小林麻央さん(享年34)が亡くなって1か月半、海老蔵が愛娘を託したのが“麻耶ママ”だった。
「麻耶さんは麗禾ちゃんに声援を送る一方で、終演後には一目散に勸玄くん(4才)をトイレに連れて行ったり、ママ友に挨拶したり、みんなで記念撮影したりととても忙しそうでした」(前出・観劇した人)
発表会の2日前にも、麻耶は会場入りしていた。その日は発表会のリハーサル。麗禾ちゃんを送り届けた麻耶は、ママ友と連れだって近くのカフェでおしゃべりを楽しんだ。
「リハーサル後、ロビーで麗禾ちゃんを笑顔で迎えていました。でもそのあと“本番まで体調を崩さないでくださいね”という先生からの注意には、一転して真面目な表情で耳を傾けていました」(居合わせた保護者)
会場を出た麻耶と麗禾ちゃんはしっかりと手をつなぎ、顔を寄せあっておどけた様子も見せていた。
「麻耶さんは、麻央さんの治療のために移り住んだ都内のマンションで、今も“家族”同然の生活を送っていると聞いています。
2人の子供たちはもちろん、海老蔵さんにとってもなくてはならない存在でしょう。ですから、支援者のかたがたから“麻耶さんに奥さんになってもらったら”という声も出てくるんでしょうね」(歌舞伎関係者)
※女性セブン2017年8月24・31日号
08/12 16:00
NEWSポストセブン
市川海老蔵「麻央の誕生日にバラ」かたわらには麻耶が寄り添う
小林麻央(享年34)が6月22日に乳がんで亡くなって一カ月。7月21日は麻央の誕生日だった。
市川海老蔵(39)は21日朝にブログを更新し、用意したバラの花束との自撮り画像を公開した。海老蔵によれば、毎年麻央の誕生日にはバラの花束をプレゼントしていたという。「一番最初の誕生日はホテルの部屋を全て薔薇にして2人で祝いました」と書きこみ、「お誕生日おめでとう。心から愛してる」と締めくくっている。
麻央が亡くなって以降も、ガンの治療方法や病気の発見時期についてさまざまな憶測が流れている。
麻央が人間ドックでガンの疑いを持たれたのは、2014年の2月。すぐに港区にある大病院で再検査。担当したのは、乳腺外科のA部長だった。だがこのとき、A部長はガンを発見できなかった。
「8カ月後、乳房に違和感を持った麻央さんが検査を受けて、やっと乳ガンが発見される。A部長が告知した。だがこのとき、すでにリンパ節にガンが転移していた」(ガン専門医)
ガンが見つかった後、麻央は乳房を切除する手術を勧められたが、これを拒否。乳房を温存する道を選んだ。
「私も海老蔵さんから治療法の相談を受けましたが、麻央さんは最先端のガン治療を求めているようでした」(海老蔵と親しい都内の皮膚科医師)
最初の検査でA部長がガンを見落としたことについては、「その後の進行の速さを考えると、見落としたことを責めるのは酷」と言う医師もいる。だが、「A先生が最初の検査で発見できていれば、状況は変わっていたはず」(前出の専門医)という声は強いのだ。
亡くなった翌日、A部長を直撃した。しかし「人のプライバシーにかかわることですから」と言うばかり。麻央へのお悔やみの言葉も聞くことはできなかった。
麻央は病床で、姉である小林麻耶(37)に「夫のことをよろしく頼む」と託していたという。
「麻耶さんは、麻央さんが在宅治療に切り替えた5月以降、海老蔵の留守中も母親とともに住み込みで看病をしていた。麻央さんが亡くなった今も海老蔵の家にとどまり、長女の麗禾ちゃん、長男の勸玄くんの母親代わりとなって、献身的に面倒を見ている」(歌舞伎関係者)
2017年2月末、海老蔵一家は都内の一等地に構えた戸建てから、マンションへと引っ越している。海老蔵はその理由を《子供部屋ないので》とブログに書いたが、理由はそれだけではない。
「在宅治療をするにあたり、ワンフロアで生活ができることが、バリアフリーの観点から重要だった。部屋数の多いマンションなら麻耶さんやお母さんのスペースを確保できる。7月25日には、麗禾ちゃんの6歳の誕生日が控えているが、麻耶さんは今後も海老蔵さんや子供たちを支えるだろう」(小林家の知人)
妹が心から愛した海老蔵の悲しみに“妻”のように寄り添うこともまた、姉の愛なのだ。
07/22 02:00
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