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代償 便利でカッコよくてどこにも無いもの作ってます

代償
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代償 自然が好きです。

お盆休みも半分終わりましたね。

こちらはずっと曇り&小雨の涼しい毎日でした。

3連休来ていた娘を送って久しぶりに千葉まで行きました。

赤くない東京タワーを初めて^^;見ました。

翌日はお墓参りに行き、草むしりをしました。

我が家の汚いリビングをどうにかしたくて、旦那とネットで色々探していましたが、

直接ニトリまで行って現物を見て買ってしまいました。

(・・・戸棚というより巨大冷蔵庫みたいでなんかイマイチと思ったのは無視)

↓AFTER

これでもすっきりしました(涙)だって・・・

↓門外不出のBEFORE

こうだったんだもの。

カメは移動しました。

餌をやるとき以外も、日に何回も声かけに行くようになりました。

カメだって淋しいからね。

そして・・・

ビフォーの写真が恐ろしすぎて無いのですが・・・

私のデスク。キーボードの上以外、モノが山積みになっていたデスクが、

手前にある袖机を買ってすっきりしました(^O^)まるでデスクみたいだよ・・・

これも、ネットでずいぶん探したんだけど、

編み物用の棒針(40㎝)が入る奥行きのものが無いんです(T_T)

で、諦めて散歩に行ったら、ふと見たリサイクルショップで一点だけ見つけました。

デスクにぴったりのサイズでした(涙)嬉しいよぉ。

やっぱり。収納なんですね。モノが片付けられる場所があれば、

すっきりと暮らせるんだね(;_;)

でも人生は、決してお片付けできる場所がないなって思いました(笑)。

これは~こう!って、片付けて仕舞えるようなことは、一つもないみたいですね。

ある時、私はあることが怖くて不安で、逃げたくてどうにかしたくて、

一刻も早く、楽に、安心になりたくて、

気が狂ったように地球を何周もしました。心がね。

これがこうなれば、もう安泰!安心できるはずだ・・・

あれがこうなれば、もう傷つくことはなくなるだろう・・・

早くどこかの岸に泳ぎ着きたくて、

岸に上がりたくて、とにかく上がって息がつきたくて、

まるで針の山の上で緊張して微動だにできないでいるように、

いつでもどこか緊張し怯え、何かに向かって構え警戒し、

心が休まることは、たま~~の息継ぎの時、一瞬くらいでした。

人生は過酷だなぁ。

どうしてこんなに心が弱いんだろう。

どうしてすぐに傷つくんだろう。

どこかに何か、答えがあるはずだ・・・

永久に安心できるために、きっと方策があるはずだ・・・

それはスピリチュアルの世界にあるかもしれない、

悟れればそうなるのかもしれない・・・

酸欠の魚みたいに。

心は必死の形相で、

生きることそのものが怖いだけだった。

何もかもが、痛みに思えた。

そしてその解決法は、三蔵法師に頼んでも見つけられなさそうだった。

どんなに努力しようが、

代償として苦しだにしても、

我慢しようが頑張ろうが。

でもさ。わたしだけじゃないんだね。

答えも、解決策も、

安心も、救われることも、

無い、んだね(^_^)

安心はどこまでいってもない。

救われることもない。

たどり着ける場所もない。

人生は、苦しいときもあれば、奇跡的にうまく運ぶ快適なときもある。

それは決して、「良くなった」わけじゃないんだね。

けど忘れて何度でも、「はぁ~~助かった~」なんてぬか喜びする。

その、繰り返しになぜかずっと気づかなかった。

いつかの「良くなった時」こそ、永遠にそのままいられるものだと、

なぜか信じて待っていた、今度こそ今度こそと。

安心なんて、無いんだね(^-^)

安全なんて、もっと無いんだね(^O^)

そう気づいたとき、

胸の中が滝のようにどーっと、

涙を大量に流した。

喜んだ。

これが安心なんだね。

決して救われないし、大丈夫になることなんて、決して来ないということ。

それが、救い。

でも物理の世界では、収納やお片付けは大切。

だって、こんなに嬉しいんだもの(^^;)

そうそう!安心と言えば。

旦那が「これ食いたい」と買ってきた、豚のリブ肉。

むーに一本やりたいというので、一本だけゆがいた。

一時間くらい初めて見るご馳走をガリガリかじっていた。が、

そのうち骨をくわえたまま、座り込んでしまった。

・・・・・

二時間たっても、骨を放さない。

「取らないよ~明日食べな~」と言っても、相変わらずくわえたまま、

水を飲みに行き、飲むのを断念したり。

これはヘンだ!と、取ろうとしても、骨ががっしり奥歯にはさまって取れない@@

慌てて、夜間診療の病院に電話しまくって慌てていたら・・・

「ワン!!」

吠えた拍子に取れた(^^;;)

その時の、喜んで跳ねるむー。

安心は、無いね(笑)。

それに生きてりゃ色々あるもんだ、犬だってね^^

代償 このクリスマスに、あなたがいることをお祝いしたい

8月は夏休み期間ということで

少年少女が(もちろん人魚も)活躍する

冒険物語をご紹介しています。

今回は外国のファンタジー小説。

アメリカの作家、ジェイン・ヨーレンの「三つの魔法」です。

「三つの魔法」

ジェイン・ヨーレン:著  宇佐川晶子:訳

めるへんめーかー:画

(早川書房 1985年4月刊)

海に囲まれた王国ソレティアに住むシアンナは

泳ぎの上手い、海を愛する美しい少女。

ボタン職人の父親は、妻を津波で亡くして以来

娘に海に近づくことを禁じていますが

シアンナは父の目を盗んで学校帰りに

よく海辺で遊んでいました。

シアンナが12歳のある日、突然襲ってきた大波によって

彼女は沖へ流されてしまいます。

誰もがシアンナは溺死したと思い悲しみましたが

海の魔女、ドレッド・メアリーがシアンナを助けていました。

皆が恐れるドレッド・メアリーは人魚の最後の生き残りで、

若い頃はメリンナと呼ばれ、

黒い髪、黒い瞳と抜けるような白い肌の美しい姿をしていました。

メリンナはソレティアの王子アンガードに恋していました。

彼のためにメリンナは三つの魔法のボタンをつけた

特別な上着を作りましたが、王子の態度は冷たく、

ボタンについての説明も聞かずに、上着を持ち去ってしまいました。

長い年月が経ち、王位をめぐる争いの中、

いつしか海草で編まれた上着は朽ち果て、

ボタンだけが皆に忘れられたまま残りました。

王子に拒まれたメリンナは海に戻り

二度と岸には近づきませんでした。

やがて年を取ったメリンナは水夫たちを海に引き込むようになり

人々はドレッド(怖ろしい)・メアリーと彼女を呼びました。

いろいろなことを忘れてしまった魔女ですが、

ボタンのことはずっと覚えていました。

波にさらわれたシアンナは

ソレティアの一番はずれの島にある、

魔女ドレッド・メアリーの家で目覚めました。

シアンナは自分の上着に付いていた、

母親の形見の銀のボタンが、

貝殻のボタンに替えられていることに気づきます。

母が野原で拾ったという古い銀のボタンこそ、

遠い昔に魔女がアンガード王子に渡した

魔法のボタンだったのでした。

やがて家に帰ってきた魔女と話すうち、

シアンナは魔女に気に入られ、

一年の間魔法を教えてもらうことになります・・・。

このお話で人魚の魔女が出てくるのは初めだけで

全体から見るとわずかですが、

魔法のボタンとその使い方をシアンナに伝える重要な部分です。

三つのボタンは一度魔女に奪われたもののシアンナに返されますが

その力について改めて思い出した魔女から再び一つ奪われ、

使われてしまいます。

どんな願いでも叶えてくれる、強大な魔法の力を持ったボタン。

ただし魔法には結果がつきもの、というのが約束で、

シアンナとその息子の二代にわたるこの物語を貫くテーマになっています。

魔法を使うという行為に対して自然は必ずバランスをとろうとする。

願いを魔法で叶えたら、均衡を保つためそれと同じだけの“結果”が起こる。

善には悪、柔らかいものには硬いもの、と魔女がたとえるように

魔法の力には反動として逆の力が必ず作用するのです。

大きな魔法であれば、その代償もまた大きい。

この約束がファンタジーの物語を現実的にしていて

魔法はただ便利なだけではなく、

使ったことによる重大な結果が主人公たちを悩ませます。

とはいえ、決して重苦しい物語ではありません。

感傷的になりすぎない、抑えた筆致は

かえって作品の情緒的な部分をうまく表現しています。

人魚の魔女については、

陸に上がるときは魚の尻尾を脱いで足になる、という設定。

スカートみたいな尻尾なんでしょうか。

この作品の詩的で爽やかなイメージは文章だけでなく、

めるへんめーかーの挿絵によるところも大きいと思います。

柔らかく、夢のようなふんわりした雰囲気なのに

甘くなりすぎていない、独特な絵ですよね。

実は6月に読んだ本「少女マンガの宇宙」に

この本の表紙が載っていて、(当時の記事→)

読んでみたいと思い古書店で購入したのでした。

ジェイン・ヨーレンは同じくハヤカワ文庫の「水晶の涙」を

読んで当ブログでもご紹介していますが(当時の記事→)

どちらも海辺の美しい描写が印象的でした。

今回の本の訳者あとがきによれば、

ジェイン・ヨーレンは原稿を書くとき

聞いて耳に快く、読んで目に快い文章を心がけていて

書いた文章を音読して推敲を重ねているとのこと。

訳文であっても、その詩のようなきれいな表現は

じゅうぶん伝わりました。

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