「人間関係がうまくいかない…」と思ったときに試してみたい5つの観客
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徐々にできつつある人だかりの中心で、タクシーの運転手、それに騒ぎを鎮めようと奮起したらしき中年の男性が、ぐったりと倒れているカケル先輩に駆け寄る。運転手は蒼褪めて顎を震わせていたが、もうひとりの男性は真剣な表情でカケル先輩を診ている。
「意識がない。だがまだ息はある」
中年男性の検分が終わると、あちこちで「おい救急車!」「車を回して」などの声が上がり、事態収拾の波が伝播する。幾人かの人間が私服警官であったことが判明する。
呆然とした俺がカケル先輩を見つめていると、後ろから肩を叩く者があった。振り返ると真顔のナオキがいた。
「本丸か」ナオキは短く訊く。
「わからん」俺は本心を曝け出し、首を横に振った。
目で『了解』を合図したナオキは、勇敢にもカケル先輩の方に駆けていき、「知人です」と軽く関係を騙ってから対応に当たった。恐らく『ユニコーン』の力を借りて、こっそりと治癒するのだろう。今のカケル先輩の様子を見ると、このままでは命の保証がないかもしれない。
もし召喚者が見ていたら『ユニコーン』の姿を見られてしまう――との危惧は、このときには思い当らなかった。予想を超えた出来事に瀕し、対応できずにただ突っ立っていた。
その俺を現実に引き戻したのは、カケル先輩を轢いたらしきタクシーを運転していた運転手である。
「わ――わたしは知らない。間違ってない。その女が、突然、空から降ってきたんだ」
ひどく取り乱してそう言った彼を見た者ならば、適当なことを言って責任逃れをしているとでも取れたかもしれない。運転手の言うように人間が降ってきたというくだりは突飛過ぎる。かりに空からではないとして、建物の上階から落下してきたと推してみても、この辺りの建物の窓は開いていない。まさか他人の家や店の屋根の上にカケル先輩がいたわけではあるまい。
非常に胡乱な運転手の叫びである。だが、俺は逆に気になった。
すなわち、本当に空から降ってきたのでは、ということである。
俺はタクシーを見た。ボンネットの部分が不自然に窪んでいる。前方にいた人間を撥ね上げた跡にも見え、上から落ちてきたものが衝突した跡にも見えた。これが犯人の仕業と考えるのならば――、墓地と農場で同時に火の手を上げた犯人なら、人を宙に浮かせることもできるのではないか。
人だかりからナオキが戻ってきた。いつもは優美な表情であることを怠らず、剣呑な状況下では憂いと悲愴を使い分けているナオキが、このときには渋い顔をしていた。
「どうだ、カケル先輩は」
こちらが訊くと、ナオキは首を捻った。
「いや、それが――」
「それが?」
「力が働かない」
「え」
「ユニコーンが呼べない」
俺という観客を得たナオキは、得意の憂い顔になり、そう言った。
「前の日に力を使ったんじゃないか」
「ここ数日はまったく」
「ユニコーンに嫌われたとか」
「呼んでも来てくれない、ではなく、呼ぶことそのものが空回りする」
ナオキひとりの状態を見るだけでは心許ない。俺は自身の『グリフォン』を呼ぼうと念じた。導きの目的はない。呼ぶこと自体が目的である。
愕然とした。
ナオキの感覚が俺にも宿っていた。幻獣を呼ぼうとする際の、譬えて言うなら笛とでもしようか、それを吹いても空気が抜けていくだけで、音になってくれないのである。
嫌な予感がぞわぞわと背筋を這い、具体的な不安になってゆく。
不可能を可能にする力の存在。
不可能を可能にする力の封印。
奇妙な現象が臨界に達しようとしているのか。俺は辺りを見回した。目の前には常ならざることが起こっているが、現実のものであることには変わりがない。人、建物、機械、各々がそれぞれの役割を忠実に演じている。その中に”世界の綻び”はないか。こちらを侵食しようとはしていまいか。
ゆるりと首を回し、後ろの景色を見遣る。
俺はそいつを見つけた。
人だかりの中に、茶髪で小柄な男がいた。ひどく幼い顔で、その目はカケル先輩の方を凝視している。
カケル先輩をこっそりと追い回していた男だ。
俺はゆるりと身を翻し、ナオキが何か言っていることも気にせず、男の方へと足を進めた。
依然として教会からはオルガンのかそけき音が聞こえていた。